Book Select 本を選び、本に選ばれる

読んだ本にまつわる話を書き綴っていくことにしました。マンガが大半を占めていますが小説も好き。マンガはコミックで読む派。本は買って読む派なので常にお金と収納が足りません。例年1000冊以上コミック読んでます。ちなみに当ブログのアフィリエイト収入は昔は1000円くらいいった時もあったけど、今では月200円くらいです(笑)みんなあんまりマンガは買わないんだなぁ。。収入があった場合はすべて本の購入に充てられます。

映画が大好きなことはよくわかったよ。。 手塚治虫/ふしぎ旅行記

死んだ人の魂が、他の人に乗り移って、世界を旅する。
そんなお話なのだけど・・・。

ふしぎ旅行記 (手塚治虫漫画全集)

ふしぎ旅行記 (手塚治虫漫画全集)

手塚治虫は映画好きで、この作品は、『幽霊、紐育を歩く』という作品から
着想を得た、というかパクりまくったものらしい。

『幽霊、紐育を歩く』は『天国から来たチャンピオン』の元ネタらしい。

天国から来たチャンピオン [DVD]

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いずれにせよ、夢と現実が入り混じるというか、
やや荒唐無稽なファンタジーさは手塚治虫にも大きな影響を与えていて、
自身の解説でも、自分の個性として根強く残ったと回想している。

この全集では、そう言ったファンタジー路線の作品を
タイガーブックス』というシリーズにまとめてある、とのこと。

海外旅行なんてほとんどの人がいけなかった時代、
旅行記のように海外を描くというのはそれだけで新鮮なところがあったんだろうね。

本人曰く、映画どこもかしこも自分の映画へののめり込みの見本みたいなもん、だそう。
確かに映画は物語をカット割で見せていくところとか、
漫画の参考になりまくるのは今もそうで、
知り合いの漫画編集も、作家も、みんな映画は見まくってる。

とりあえず、元ネタの映画見たいな。


ふしぎ旅行記 (手塚治虫漫画全集)

ふしぎ旅行記 (手塚治虫漫画全集)

毒にも薬にもならないゆるいテンションで書かれた(とされる)エッセイ集。 朝井リョウ/風と共にゆとりぬ

エッセイが好きだ。
毒にも薬にもならないゆるいテンションで書かれたエッセイを読むという行為には、
読書の快楽が詰まっている。

で、ひょんなことからこの本を手にとった。

前作のエッセイが好評だったから出たと思われる第2弾。
自分は、一作目の『時をかけるゆとり』は読んでないけれど、
今時、エッセイの第2弾が出るということはそれなりに面白いんだろうと当たりはつく。

そもそも朝井リョウの小説を読んでるのか、という問題があるのだが、
正直に告白すると読んでない。
桐島、部活やめるってよ』が売れた時は、
御多分に洩れず「◯◯、△△やめるってよ」ってネタにしてた。
でも読んでない、ごめん。

そんな私が読んでも文句なく楽しかったのがこのエッセイだ!
エッセイって、結局作家の身の回りのなんてことない日常の話だったりするのだけど、
だからこそ、何を切り取るのかというところでセンスが現れるし、
日常を、世界を見る視点が露わになる。

エッセイの楽しみはこの他者の視点を知ること、
それも作家という変態が世の中を見つめる目を知ることだと思っていて、
共感できることもあれば、全く意味わからないこともある。
でもこの全く意味わからないことこそ自分にはない世の中の見方であり、
自分にはない価値観そのものなので、それがまた新鮮で楽しいんだなぁ。

作家の目を通じて世界を改めて見る、という新鮮さと、
自分にはできない体験を作家の目を通じて知ることができる。

例えば本作では肛門記と名付けられた書き下ろしがあり、
そこで赤裸々に痔、および痔が悪化した痔瘻と手術して回復するまでの話が語られるのだけど、
最初は痔というどこかファニーな持病を自らおちょくりつつ、次第に笑ってられない状況に直面していく姿は、
読んでる読者にとっては(申し訳ないけど)面白さ以外の何もない。

そもそも人が笑ってられない状況に直面していくことほど滑稽なものはない。
ここには笑いの真理が詰まってる。

なんの脈絡もなく突然思い出したけどデトロイト・メタルシティが面白いのも、
主人公が笑ってられない状況に追い込まれるからこそなんだよな。
結局人が困っている姿って滑稽なんだよね。人間て意地悪ね。

まぁ古今東西、色んなエッセイがあるけれど、総じてエッセイは面白い。
朝井リョウは現代っぽいというか、なんかそれなりにウケるエッセイを自覚的に書いてる気がするから、
エッセイ初心者も楽しみやすい気がする。

面白いんだけど、ちょっとネタっぽすぎるきらいはなきにしもあらずなのだけど、
まぁその辺は今後円熟していってくれるのでは、と期待。

というわけで、順番逆だけど、前作のエッセイも読んでみようかな。

1巻で終わるけど、漫画というよりは挿絵付きストーリー、密度はかなり濃厚よ。 手塚治虫/黄金のトランク

黄金のトランクを持って現れた謎の人物は翌朝消えていた。

謎が謎を呼ぶ黄金のトランクは、西日本新聞に連載されたという変わり種の作品。
漫画というよりは挿絵とストーリー。

黄金のトランク

黄金のトランク

新聞連載だけあって、物語としてはかなりボリューミー。
まともに漫画にしたら、かなりの巻数になるきがする。

それは裏を返すとそれだけちょいとダラダラしているという冗長な面もあるのだけど、
物語部分がグダグダで、訳のわからないまま進む初期作品群に比べれば随分マシな気もする。

黄金を自由に生み出せる異星人が地球を乗っ取るために世界をインフレにするっていうプロットは、
今尚有効な気がする。

金融を混乱させることが世界を乱す有効な方法ってのは変わっていないと思うから。
そして結局人間は皆金が大好き。
金をばらまきゃ便宜も図られる、そんな世界もこの作品発表当初から大筋変わってない。

しかし、本当に手塚治虫というのは詰め込みすぎな人だよな。
当時はこれが良しとされたのだろうか?

1つの作品にとにかく色々な要素が盛り込まれまくって、
物語から逸れていく。
いろんな要素が中途半端に終わる。
どちらかというと、もう書き散らしている印象でしかない。
でも実際書き散らかしてる風なことを本人も言っているので、仕方ないっちゃ仕方ないんだよね。

それでも書き続けたからこその手塚治虫なんだろうなぁ。

そう考えると、とにかく書きまくること自体が偉大に思えても来る。
今の時代、作品を公表する場はいくらでもあるんだから、
漫画家として生きていくなら、手塚治虫以上の作品数をとりあえず描いてみれば?
芽が出てなくても、描かなきゃ始まらない、とも言えるよね、と思う今日この頃。


黄金のトランク

黄金のトランク

全然ご機嫌じゃない、終始不機嫌って感じの警察小説。 ユッシ・エーズラ・オールスン/特捜部Q 檻の中の女

デンマークの作家の人気シリーズらしい。

推理小説系は全然読んでないので、全く経験不足なんだけど、
なんか評判良さそうだったから読んでみたって感じ。

主人公のカールはとある事件で同僚とともに襲撃されており、自分は無事だったものの
1人は死亡、1人は寝たきりの生活を余儀なくされている。
家族との関係もお世辞にも幸せと言えるような状態ではなく、
苦虫を噛み潰したような不機嫌さが滲み出ているようなキャラクター。

そんな主人公を半ば厄介払いするかのように設立された組織が特捜部Qで、
過去の未解決事件の調査ってのがミッションなのだけど、
まぁいくらでも閑職として余生を過ごせるポジションとも言える。


特捜部Q―檻の中の女― (ハヤカワ・ミステリ文庫)

特捜部Q―檻の中の女― (ハヤカワ・ミステリ文庫)


その特捜部になぜかお手伝いとして現れたのがアラブ系のアサドというキャラで、
こいつがなんかすっとぼけているんだけど、事件の糸口を掴んでくる変なやつ。
過去を隠しながら、ひょうきんに振舞っている感じで、彼自身のバックグラウンドも気になる。

で、寝たきり警官も死にたがってるんだけど、
事件の情報渡すと決定的な推理をしてくれたりする。

そんななんか妙なキャラクター達で進行する物語。

物語は章ごとに複数の視点で語られ、
同じタイミングでそれぞれの思惑がどう交差しているのかが明かされていく。
最初はそれぞれの話は遠いのだけど、様々なエピソードが渦巻きのように収束していって
気がつくとクライマックスに向けて疾走しているって感じ。

その手法の巧みさは間違いないのだけど、基本的に暗くて重苦しいのよね。
序盤の地味にじわじわ核心に近づいていく過程が退屈に感じる人もいるかもしれない。

本作も美人政治家が行方不明になった事件の再調査なんだけど、
なんかちょいちょい作家のご都合主義を感じたりもする。。。
結局推理小説ってなんか神としての作家が物語を
コントロールしている感じが出てしまってそれが萎えるのよね。

まぁ、それでも最近はマンガにも飽きてきていて、
総じてマンガの平均値よりは、小説の方が物語の密度と
満足度が高い気がしている今日この頃。

ちなみに映画化されてるらしい。

特捜部Q Pからのメッセージ [DVD]

特捜部Q Pからのメッセージ [DVD]

全然知らなかったなー。
まぁ、今のところ暇つぶしに読む物語としては満足。

特捜部Q―檻の中の女― (ハヤカワ・ミステリ文庫)

特捜部Q―檻の中の女― (ハヤカワ・ミステリ文庫)

正義とは何か、ヒーローとは何か、マイケル・サンデルが絶賛しそうなヒーロー漫画なのだよ。 桂正和/ZETMAN

電影少女がドラマ化されるなどなんだか桂正和ブームが来ている。
世の中的に来ていなくても俺の中では来ている。

30から40代男子にとって桂正和は切っても切れない存在なのだよ。
男はみんな、心のどこかで桂正和に感謝しながら生きている。

そんな桂正和は最近なにかいてるんだろう、そういえばあんまり読んでないぞと思って
手に取ったのがこの作品。

相変わらず可愛い女の子は出てくるけど、ちょっとシリアスだぞ。
人間に紛れて暮らすEVOLと呼ばれる人工生命、でもこの人たち
大人しく紛れて暮らす人もいれば、暴走して人を襲っちゃう奴らもいる。

そんなEVOLの秘密とか、EVOLとの戦いとかを描いた物語なのだけど、
主人公はいつだって無自覚に主人公であり、ヒーローだ。
でもこの物語で注目すべきは主人公ではなく完全に脇役の高雅くん。
ヒーローに憧れ、ヒーローになれるスーツを開発して、ヒーローになろうとする。

凡庸な金持ちのボンボンの純粋な夢としてのヒーロー。
正義であることを望むが、正義とは何なのかを常に突きつけられていく。

そう、正義とはとても難しい。
一昔前に流行ったマイケル・サンデルの世界。

これからの「正義」の話をしよう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

これからの「正義」の話をしよう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

多数の命を救うためなら、少数の犠牲はやむを得ない?
目の前の人の命を見捨てることでより多くの命が救える状況では、
目の前の人を見捨てることが正義なのか?

こういう正義とは何か、青臭い正義では誰も救えないんじゃないの、っていう
正義とは何かゲームをひたすら突きつけられ、悲惨な現実を目の当たりにしていく。

現在は第一部が完結した状態。
物語としても続編が待たれる状況なのだが、
作家とは意識するしないに関係なく、自らの作家性からは逃れられないのだな、とこの作品を読んで強く感じた。

ヒーローへの憧れ、ヒーローになろうとする、まさにこれが桂正和が根底に抱えるテーマ。
ウイングマンもそうだったでしょ。ヒーローへの憧れ、妄想が現実化してウィングマンになる。

生まれながらのヒーローである主人公とヒーローに憧れヒーローになろうとする二人の対比。
天才と秀才、才能と努力の葛藤。
そしてヒーロになったらなったでヒーローであることへの苦悩。
そう、ヒーローはヒーローであることの苦悩から逃れられない。
それは仮面ライダー然り、スーパーマン然り、古来のヒーローが直面し続けているテーマなのだ。
いつからなのだろう、ヒーローという異形の存在が自らの異端性を気に留めなくなったのは。
まぁ、底抜けに明るいヒーロー像を全否定するつもりはないけれど、あまりにも白痴的なヒーローが溢れているような気もするな。

というわけで、たまには悩み多きヒーローの物語に触れてみるのも良いんじゃないかしら。
悩み多すぎて、続きが書けるかどうかが一番気がかりではあるのだけど、
この悩めるヒーローと正義の物語をぜひ描き切ってほしいな。

女の中二病みたいな妄想を詰め込んだ究極のギャグ漫画。でも本当に傑作なんだ、読まずに死ぬのは勿体無い。濡れていこうぜ! 新條まゆ/快感フレーズ

ある日、主人公の女子高生愛音は車に轢かれそうになる。

運転席から大丈夫?と駆け寄る彼は超イケメン。何かあったらここへ来てと渡されたのはコンサートの関係者パス。

後で向かった先のコンサート会場ではこの前のイケメンが歌ってる、しかも事故の日に無くした自分の詞を歌にした曲を・・・

 

と言う所から、超人気バンド、ルシファーのボーカル咲也と知り合い、処女の妄想たっぷりのエッチな詞を書いて欲しい、と専属作詞家になっていくシンデレラストーリー。

 

序盤戦、とにかくエッチな詞というフレーズがことあるごとに出てきて笑いを誘うのだが、そんなものは些細なことに過ぎない。

 

  

愛音の作る詞は、咲也にこうされたいと言う妄想を言葉にしたものであるがゆえにファンの共感を呼ぶのだけど、この作品もイケメンのスターに少し強引に迫られたいという妄想を具現化したものであるがゆえに多くのファンを獲得したのだろう。

 

そしてなんと言っても女の中二病的な妄想を、ここまで突き抜けた形で徹底して描いた新條まゆは、それだけでもう天才なのである。

 

突き抜けた妄想は常にある種の滑稽さを伴う。性癖にしろ、こだわりにしろ、すべて突き抜けるともう面白さしかない。この作品は、もはやある種のギャグ漫画として成立しているのだが、それは作家が照れや安っぽい自尊心で己の妄想を隠すことなく、ストレートに描写したが故に成立した境地。

だからこれは究極のギャグ漫画でもあるのだが、それは最大の賛辞でもあるのだ!

 

もうとにかく咲也のめくるめく決め台詞がいちいち痺れる。

ある種のステレオタイプのオンパレードなのだけど、常々思うし、このブログでも言い続けているのは、ステレオタイプを抽出することこそが作家の才能なのだ!!

 

ステレオタイプとは結果的にありがち、かつ、ベタなものではあるのだけど、一方で誰もがそうそう、そういうのあるよねという共感できるものだし、無意識に共通して感じていることの言語化だったりする。

 

そういう無意識の共通認識みたいなものをすくい取り表現することができるというのはすんばらしい才能だと思うし、そういうものから我々は自らの感受性やものを見る視点を明確に意識させられたりする。

 

ベタなことを、どれだけベタにやり切れるかというのもとても重要で、ベタなことでも、やり切るとそれは突き抜けた面白さに転化する。

 

例えば、咲也は落ち込む愛音を励ますために、お前のために歌うと宣言してバラードを歌い出す。

ミュージシャンが歌に想いを乗せて恋人に向けて歌うというありふれた行為でしかないのだが、咲也は、新條まゆは、それだけに止まらない。

 

歌詞に想いが込められているだけじゃないんだよ。

さりげなく紹介されたバラードの曲名「Love Melody」

読者も最初はそれをスルーしてしまうかもしれない。

 

しかし、全てに意味があるのである!!

 

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キャーーーーッ、咲也っーーーー!!!

そこに痺れる、憧れルゥゥゥゥ!!!

 

そして何気なくググったら、咲也のbotアカウントがあったぞ。

 

twitter.com

 

相変わらず発言がいちいち痺れるぜ。

みんな、フォローしてやってくれよな!

濡れていこうぜ!!

 

ずっと読まないできたけど以外と面白いじゃないか! J.K.ローリング/ハリー・ポッターと賢者の石、秘密の部屋、アズカバンの囚人

ずっと読まずにいたのだけど、USJ行くから読んでみた。

両親を悪の魔法使いに殺され一人生き延びた赤子がハリー・ポッター
魔法界でも、なんかちょっと特別な存在なんだけど、
普段は人間の親戚の家で暮らしていて、ゴミみたいな扱いを受けている。


人間界での生活は閉塞感の塊で、魔法界では自分は有名人だし、友達もたくさん。

現実世界をつまらなくて逃げ出したい場所として描くことで、ハリーへの共感や
そこから抜け出して魔法界で冒険することのワクワクが際立つわけで、
あぁ、とても上手な構造の物語だなぁ、と思ったのでした。

賢者の石での悪者も、正体は最後の最後までハリー自身も勘違いしてる。
それくらいわかりやすい悪役を配置しておいて、真犯人は違うというどんでん返しとかも
あらゆる構成が練りこまれていて巧みだな、という印象。

正直もうちょっと子供騙しなシンプルなお話なのかと思ってたのよね。。
読まず嫌いはよろしくないですね。

好きか嫌いかでいうと、現実世界がつまらないものとして描かれるのは好きじゃない。
でも子供と一緒に映画見たり、本読んだりする、共通のネタとしてはとてもいいよね。
大人が読んでも楽しめるくらいの作品だから。

今のところアズカバンの囚人が一番好き。
ひどすぎる冤罪事件だけど、
ハリーにももしかすると穏やかな日常が訪れるかもしれない、
そういう希望が見えたところが良かったよね。

こういうわかりやすい魔法使いものもいいけど、
子供達にいつか読ませたい魔法の話といえば、『ゲド戦記』だな。
派手に戦ったりしないとことん地味な魔法使いの物語。

影との戦い ゲド戦記 (岩波少年文庫)

影との戦い ゲド戦記 (岩波少年文庫)

宮崎吾朗の映画作品はゴミクソだったけど、原作は珠玉の名作なので
早く娘が読めるようになるといいなぁ。