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Book Select 本を選び、本に選ばれる

読んだ本にまつわる話を書き綴っていくことにしました

へぇ~、そうなんだーっていう小ネタをひたすら楽しむ 石井良介/将軍の生活

将軍の生活、と言われるとなんか興味をかき立てられる。
一体どんな生活だったんだろう??
歴史小説や時代劇でも、彼らの日常は描かれない訳で・・・。

本書は将軍の生活に関する話の他にも、
皇室と公卿の話や、当時の村という感覚が、
ローマ法的な考え方とは違ったことなどを教えてくれる。

いずれにせよ、まったく知らない世界なので、
ちょっとしたことがトリビアのようで面白い。

将軍の生活 (明石選書)

将軍の生活 (明石選書)


ちょっとした裏話が楽しい

天皇のあがった箸を頂戴すると、瘧が落ちるという言い伝えがあり、
諸方で手蔓を求めて頂戴しましたが、実際は、
天皇の使われたのは、お側で折って下げるので、
別に御箸を差し上げて、口につけて戴いたものだそうです。
P.12

今日は4つお願いします、みたいなこともあったのかな。
想像するとちょっと面白い。


頭中将はいじめられる

議奏・伝奏から伝えられる命令によって、諸公事を奉行し、官位の事について、
勅問の家に勅使として行ったり、
宣下された官位を口頭で申渡したりする役は前述の職事です。
蔵人頭の二人、五位蔵人三人がこの任にあたります。
蔵人頭のなかの一人は、羽林家より出て近衛中将を兼ねるので
"頭中将"一人は名家の出身で、弁官を兼ねるので、頭弁と呼びます。
頭弁の方は、少弁から大弁、五位蔵人を経てこの職につくので、
事務になれていますが、頭中将の方は、
近衛権中将からいきなり蔵人頭になったので、事務の上では素人なのに、
職事の首席になるので、他の四人は、事務の上でこれを苛めたそうです。
頭中将から仕事の事を聞かれても、
あなたがお頭だから、手前どもに御相談はいりませぬ、万事御差図下さい、
という風にはねつけたのです。
なかにはこのために心配して死んだ人もあり、頭中将になると殺される、
との言伝えがあったといいます。
ですから、上席の頭中将は酒食を詰所に持参して、部下を御馳走して、御機嫌を取りました。
P.24-P.25

まるで忠臣蔵のようなお話。
なんか頭中将と言われるとなんか偉そうなイメージしか無かったけれど、
結構ご苦労されてるんですね。


殿上人にも外様とかあるらしい

公卿殿上人には家格によって、内々の家と外様の家との別があります。
内々の家が高く、外様の家が低いというわけではなく、いつとなくできた区別です。
西園寺家は清華ですが、外様でした。
内々家格の公卿殿上人は内々番所に、外様家格の公卿殿上人は外様番所に出任します。
六番に分け、一番六、七人ずつ交替に出仕するのですが、これという仕事があるわけではありません。
内々番所、外様番所のほかに、近習番所がありました。
近習は侍従にあたる役ですが、近習には内々からも、外様からも任ぜられました。
P.26

序列の高低は無い、と書いてるけど、本当かしら。


禁中並公家諸法度

幕府はすでに、慶長十六年(一六一一)に公家諸法度、
勅許紫衣の法度を定めていますが、
朝廷を一般的に規律する法として禁中並公家諸法度を定めたのです。
総条数は十七条です。
これは聖徳太子憲法十七条の十七にならったものといわれていますが、
そう考えて間違いないでしょう。
P.36

ここで聖徳太子出てくるとは思わんかった。
家康は吾妻鏡を熟読してたらしい。
秀吉や、頼朝の失敗から、個の力ではなく、
組織での運営を意識していたんだとか。


将軍の生活

将軍は朝六ツ時、今の六時にあたりますが、このころに起きます。
P.49

朝起きて、うがいして、顔洗って、歯磨いて、、、
将軍の日常生活って非常に面白い。

口を清めるには歯磨粉を用いるときも、塩を用いるときもありますが、
歯磨粉は歯医師佐藤道安の奉ったのを用います。
塩は赤穂の精撰で、楊枝は通常の房楊子で、舌コキー本が添うています。
P.50

当時の歯磨粉ってどんなものだったのかが気になる。
そして、将軍のトイレ事情。

便所のなかには、冬期、直径一尺ぐらいの火鉢で上を金網で蓋ったものを
二個おいて室を温め、夏には、御小姓の団扇であおぎ、また蚊遣をたくこともありました。
P.55

なんか落ち着かない気がする、団扇であおがれてたら。

なんか似たようなテーマの本があるみたいだから、
そちらも読んでみたくなった。

将軍が死去しても、これを知る者は、近習の御小姓、
御小納戸や老中、若年寄、三奉行、目付、医者、奥女中だけで、
その他の者には厳重に秘密にします。
そして、三十日ほど経てから御不例を発表します。
これは、葬式の用意と墓所(御宝塔と呼びます)の築造に約三十日かかるので、
死去後三十日ほど経て、発表するのが代々の例なのです。
P.57

この死亡を隠す、しかも30日もってのはビックリ。
そりゃ色々段取りしてから公表するってのはわかるけど
まさか1ヶ月もかかるとは思わんかった。


お庭番

忍者とかメッチャ強い人達みたいなイメージが勝手にあるけれど、
どうもそれなりに凄いっぽい。

ある日、薩摩藩主が御気嫌伺いに出頭しました。
家斉が、お前の所の庭の蘇鉄はみごとだな、というので、
薩州候が、それは三田の屋敷の庭の蘇鉄のことですか、
それとも装束屋敷の庭の蘇鉄のことですかと尋ねると、家斉は笑って、
いやそうでない、薩摩の庭の蘇鉄のことであるという。
薩州候が笑って、御冗談でしょう、といえば、家斉は冗談ではない、
一番大きな蘇鉄の根元に葵の紋の彫ってある笄が
差し込んであるはずだというので、薩州候は大いに恐縮し、
退出の後、国許の庭の蘇鉄を調べさせたところが、
果たして、家斉の言の通りであったといいます。
事実かどうかわかりませんが、御庭番が植木師になって、
鹿児島の本丸の内庭に忍込んだという有名な話です。
P.86

その他

御台所でも、中臈でも、三十歳になると、御褥御断りと称して、
寝所をともにすることを辞する例であり、御台所なら、
代わりを推薦する例だったといいます。
P.108

30歳でって、今の時代じゃ考えられんね。

また、将軍のご飯作る人達の話も面白かった。
給料は少ないけど食材のあまりを自由にできる役得があったらしい。

御賄頭以下の者は薄給ですが、役得はなかなかありました。
それは料理の一部をひそかに取って、わが物とし、
または御広敷役人の弁当や茱に売付けたりなどしたからです。
たとえば、鰹節などは、二三度削っただけで、あとは取捨て、
魚もなかほどを切り取って、尾頭は捨て、
鳥もササ身だけを用いてその余は捨て、味噌も一鉢二貫目のうち、
五百匁をはねのけた類です。
蒲鉾は朝早くより敲いて作るのですが、
賄役からの注文二十本に対して、四十本を作って、
二十本をわが物とするようなことがありました。
右の料理の余り物は、炭のあき俵に入れます。
芥溜と称して、頭から御門切手をもらって、
公然御切手門を通れば、白河門は切手なしでも通れます。
これを称して宅下げといいます。
御切手門を出るとき、あき俵について質問されると、
ただ、芥溜と答えれば、掛りの者はその上ただすこともなく通したといいます。
P.104 - P.105

村、という概念の違い

この感覚の違いっていまでも完全に無くなっていないような気がする。
株式会社において所有と経営を切り離してるところとか、
今でこそようやく株主価値とか意識しだいているけれど、
一昔前までまったく考慮されていないのも致し方ない。
結構文化的に根深い話なんだと思う。

ローマ法的な考え方では、かりに七人が一つの法人を作ったとすると、
その法人は、その七人とは別個の独立の法人になります。
株式会社に例を取ってみましょう。
七人で株式会社を組織しますと、その株式会社は
七人の株主とは別の独立の法的人格者です。
したがって、株式会社の財産は株式会社の財産であって、
株主の財産ではありません。
株主の財産は株式だけです。
もちろん株式会社が解散すれば、
株主は会社の残余財産の分配に預かれますが、
それは株式会社が解散したときのことです。
それ以前では、会社の財産は会社の財産であって、株主の財産ではありません。
いくら大株主であっても、会社の財産を勝手に処分したり、
使用したりしたならば、他人の財産を処分したり、使用したことになり処罰されます。
会社の訴訟は株主の訴訟ではなく、会社の借金は株主の借金ではありません。
ところが、江戸時代の村はこれと違っています。
江戸時代の人の考え方では、村の財産は村民の財産であり、
村の借金は村民の借金であり、村の訴訟は村民の訴訟と考えたのです。
P.207

将軍の生活 (明石選書)

将軍の生活 (明石選書)