Book Select 本を選び、本に選ばれる

読んだ本にまつわる話を書き綴っていくことにしました

平易な言葉で語られる詩のある生活。 吉野弘/現代詩入門

現代詩入門といっても、吉増剛造のような前衛的な現代詩というわけではなく、
ごくごくスタンダードな、現代の詩の入門編だ。

現代の詩ってなんぞってのは、あまり昔の古典を引っ張り出してきて
解説するのが趣旨じゃないよという程度のもの。
シェイクスピアやダンテ、リルケといった古典にもたまに触れるけど、
著者自身の創作のことや、選評をしたときの話など、
どのように読み、どのように書いてきたかというエピソードが語られる。

現代詩入門 新版

現代詩入門 新版

詩を読むなんて人は、もはや絶滅危惧種なんだと思うのだけど、
詩人が選ぶ言葉には想像を超えるものがある。

小説なんか読んでいてハッとするフレーズとかあるでしょう。
思わず覚えちゃうような。線引いちゃうような名フレーズ。

詩って極限まで言葉を磨き上げて、そのハッとするフレーズみたいなものを
毎回作っているようなもんだと思ってたりする。

村上春樹とか読んで付箋びらびらさせてる人とかは詩も読んでみたら面白いと思うんだけどな。

ハッとするフレーズって今まで気づかなかった物の見方、世界の見方に気づかせてくれたり、
自分では認識してても言葉にできていなかった感覚を言語化してくれるような物だと
思うんだけど、そういう言葉の力をまざまざと感じられるのが詩。

良いなと思う詩を読むとものすごく限られた言葉で情景が目の前に浮かんだりする。
情景が浮かぶというのは、なんとなく平凡な言い方だけれど、
本当に言葉からその世界が立ち現れる瞬間みたいなのがあるんだよね。
そしてそこから、情景だけでなく、叙情のようなものが流れ込んでくる。

もちろん大部分の作品はスルーなんだけど、そういう1編に出会えれば儲けものくらいの感覚で読んでた。

最近は全く読まなくなってしまったけれど、
改めて詩人が書く入門書ってどんなもんなんだろうと思って手に取った次第。

言葉に一つの意味しか感じられないとき、何事も生じません。矛盾した意味、異なった意味が加わったとき、ことばはそそけだち、異質な要素との間にスパークを発します。この「矛盾の共在」の発するスパークを「ポエジイ」と呼びます。
P.228 - P.229

人の作品を改作して比較解説している所などは、
あぁ、言葉の選び方一つでこんなに変わるんだなというのがよくわかる。

作家が選び取った言葉には意味がある。
そして詩人はこんなにも大切に言葉を扱うのだな、ということを改めて知った。

言葉を大切にするというのは日常の中でなかなかできていないなぁと反省しつつ、
せめて言葉と戯れる読書の愉楽は大切にし続けていきたい。

現代詩入門 新版

現代詩入門 新版

天才たちのお話だから感情移入できないんだよね、さらっと読む分には良いけど。 藤巻忠俊/黒子のバスケ

バスケ漫画といえば『スラムダンク』ってくらい
スラムダンク』はバスケ漫画の歴史を塗り替えて頂点に君臨している。

つまりバスケ漫画に挑戦するということは『スラムダンク』に挑むことであり、
それはまぁ、とてつもなくハードルが高い所業なのだ。

真っ向勝負しても仕方がないので何かしらの独自性を打ち出そうとしてくるわけだが、
黒子のバスケ』はその名の通り主人公が黒子として活躍する物語。
目立たないキャラを活かし、幻の6人目としてチームを活かす働きをする主人公という設定。
これはなかなか新鮮なアイデア
主人公がヒーローではなくサポート役というのは切り口としては斬新で、
ジャンプで久しぶりのバスケ漫画として、オリジナリティを出せていると言える。

主人公のライバルたちもキャラが立っていて、
元々中学時代のチームメートで奇跡の世代と呼ばれる天才5人が、
高校では散り散りになって、それぞれ強力なライバルとして登場する。

個人として絶対的な才能を持つライバルに対して、
チームプレーで勝利をしていく姿は、まさに友情、努力、勝利、って感じに思えるが、
実際読んでる感想としては、結局天才たちの物語になっていて感情移入できないということ。

物語の序盤戦はテンポよく進んでいくが、
都合よく勝ちすぎているといえば勝ちすぎているし、
中盤以降は、同じようなパターンが繰り返されているに過ぎない。

正直、はいはい強い強い、すごい敵出てきたねー、
とにかくわけわからんくらい強いやつに最初ボコボコにされて、
わけわからん理由でこっちも追いついて、
最後の最後でゴール決めて勝つって感じでしょ、もう飽きたわ。
などと毒づきながら読んでしまう。

黒子は努力型の設定になっているけれど、
作中では努力が直接的に描かれることはないのも現代っぽい。
まぁ、受けないんだろうね、努力とかって。

そんな時代の変化も感じる作品。

なんか友情も努力も重いのかもね、今の時代。
物語もどんどんライトでインスタントなものになってきてるのかな。

300点の良いものカタログ! 失いかけてた物欲を思い出しそう。 ソニア・パーク/ソニアのショッピングマニュアル

スタイリスト、ソニア・パークが選んだ100アイテムを紹介する良い物ガイド。
これが結構当たって、第3弾までシリーズ化されたのがこれ。

見開きで1アイテム。左ページに写真、右ページに語り、という構成で、
良い物を眺めているのは気分がいい。
要するにこれって女性向けmono magazineみたいなもんよ。

まぁ、出版されてから結構経つので、ブランドのラインナップもちょっと懐かしさを感じるけど、
逆にその懐かしさが面白くて読んでしまった。

ソニアのショッピングマニュアル

ソニアのショッピングマニュアル

ソニアのショッピングマニュアル 2 (2)

ソニアのショッピングマニュアル 2 (2)

ソニアのショッピングマニュアル III

ソニアのショッピングマニュアル III

全300アイテムで気になったものをメモ。

キャロル・クリスチャン・ポエルのシャツは、学生の時に確かに欲しかった記憶がある。
結局買わずじまいだったけど、なんかのセールでなぜかここの革靴を買ったんだよなぁ。
なんで革靴なんか買ったんだろう。
未だに使ってるんだけど、今更ながらシャツ欲しいわ。

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面白いカバンだね。飽きそうだけど。

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クリステンセン・ドゥ・ノルドは知らなかったからメモ。
なんつーか、安物が氾濫する現代において、
こういう上質なものを身にまとう意識を持つのは一つの見識だと思うのよね。
美意識を持たずに生きるってのはなんか色々腐りそうで怖い。

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カルペ・ディエムは自分の仲間内ではすごく流行ってた。
パリのレクレルールっていうセレクトショップで扱ってて、
友人が聖地巡礼のようにその店に行き、記念に買ってきてた。
あー、かっこいいなぁ、と思ってたけどその時はそこまで欲しくなかった。
まぁ、高かったしね。
働き出して、バーニーズに売ってるの見つけて、何の気なしに買った。
お金がないときの買い物にまつわるあの真剣な逡巡が働き出して無くなってしまったのはとても残念。

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うどん、美味しそう。気になっちゃった。

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手頃な値段で良さそう。メンズもあるかしら。

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とんでもなく希少な素材で作られた、とんでもなく高いニット。
どんな着心地なんだろう。ちょっと気になるけど、なかなか手が出ないよね、この値段は。

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ムニョス・ブランデシックというブランドを全く知らず、へーって思ったので。
まだやってるのでしょうか?

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こういう定番品みたいなものは時代を超えて愛される良さがある気がする。
高いけど、確かにこういうのをさりげなくつけているのはオシャレかもしれない。
嫁が見たら、じゃあ買ってよと言われそうで怖い。

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なんか、良いものを眺めていたら、最近失っていた良い物への情熱が呼び覚まされた気がする。
昔は金はないけど時間はあったから、色々見てたし、見たら欲しくなっちゃうし、って感じだったけど、
今は金はあっても時間がないからそういう情熱が年々薄くなってる。

たまたま買い物に行って出会いがあれば買う感じ。
まぁ、べらぼうな値段のものじゃない限りだいたい買えちゃうってのが物欲をかえって抑制するんだよな。
良いなぁ、欲しいなぁ、ってものに恋い焦がれる感じが最近ないんだけど、
久しぶりにぶらぶらお店を回ってみたり、雑誌を読んでみたりしようかしら。

ソニアのショッピングマニュアル

ソニアのショッピングマニュアル

ソニアのショッピングマニュアル 2 (2)

ソニアのショッピングマニュアル 2 (2)

ソニアのショッピングマニュアル III

ソニアのショッピングマニュアル III

一護が戦い、一護が傷つき、一護が修行し、一護が勝利する物語。 久保帯人/BLEACH

全74巻の長期連載。
早く終われと揶揄されたりもしていたけれど、まぁまぁ面白い。

BLEACHの主人公の一護はちゃんと努力する主人公。
事あるごとに一人で修行、あるいは修行に類する試練に臨んで強くなって敵を倒す。
愚直なまでにこのパターンは繰り返され、負けては修行して勝つ。


敵も魅力的なキャラクターが多く、倒した敵は味方になったりしながら
物語は進んでいくわけだけど、この魅力的な脇役たちの絡み方がなんかイマイチなのよね。
脇役の域を出ないというか、所詮脇役止まりというか。

結局BLEACHはどこまでいっても一護の物語。
一護が戦い、一護が傷つき、一護が修行し、一護が勝利する。
戦い自体がタイマンで描かれることがほとんどなので、
あんまり仲間と力を合わせて勝つって感じがないんだよね。
その辺がNARUTOONE PIECEと少々趣きが違うところ。

NARUTOは2マンセル、3マンセルみたいなチーム単位で動くところがあるし、
仲間同士助け合って戦うイメージがある。
ONE PIECEなんて仲間集めの物語だし。
でもBLEACHはあんまりそういう仲間感がないんだよなぁ。

仲間は一護にとって守る存在ではあるんだけど、力を合わせる存在じゃないって感じ。
結局、織姫とか茶土とかルキアとか、鼻から頼りにしてないんだよね、一護は。
全てを自分で背負いこんじゃってる中2病的な主人公。

だからBLEACHの中2病臭さはある意味必然で、徹頭徹尾中2病的な世界の物語なんだよ。
むしろ中2病的ブリーチポエムの世界で押し通したのは立派だと思う。
突然、仲間とか友情とか出されても困るでしょ。

とにかくこのスカした世界観を生み出し続けられるのは1つの才能なので、
次も思いっきりカッコつけてスカしまくったポエム大量の作品を書いて欲しいな。
次からはもう揶揄していた輩も名人芸として賞賛し始めるんじゃなかろうか。

そう見えちゃってるんだから、しょうがないよな、とある種途方にくれる 小林和彦/ボクには世界がこう見えていた 統合失調症闘病記

統合失調症を発症した著者が、
自分の体験を文章にした稀有な記録。

大抵の患者は、文章もうまく書けなくなってしまうそうなのだが、
小林さんの場合は、統合失調症を発症しても文章能力が失われることはなかったので
この非常に貴重なドキュメントが残された、というわけ。

ボクには世界がこう見えていた―統合失調症闘病記 (新潮文庫)

ボクには世界がこう見えていた―統合失調症闘病記 (新潮文庫)

この記録が物凄いのは、発症前のところから、正に発症する当日のこと、
それ以降の症状などが克明に記録されていること。

これを読むと、狂気と日常は地続きであることがよくわかる。
タイトルにある通り、彼にとっては「世界がこう見えていた」だけなのだ。
そう見えてしまっているのだからどうしようもないではないか。

もしこれが自分だったら、自分が見ている、認識している世界を
信じるなという方が難しいように思う。

統合失調症という病に限らず、人は自分の認識している世界に生きている。
それはあくまでも自分が作り出している仮想現実に過ぎなくて、
時折自分の世界を客観視して見たり、他人の世界とのズレや齟齬を認識してみたり、
そういうことを繰り返しながら生きているのだと思うのだけど、
うつ傾向の人とかの話を聞いていると、「自分の世界」が強すぎるなぁと感じることが多い。

で、人の認識を変えるって至難の技。
やばいなと思っても、なかなか人の世界を変えることってできない。

小林さんの世界は、荒唐無稽な妄想も多くて、正直読んでて疲れる部分もあるのだけど、
それが統合失調症を発症した人の世界なのだ、と思うとすげえな、と感じる。

世界がこう見えてしまったら、ここから逃れられる人っているんだろうか。
異常な世界を見てしまう状況を治療することって可能なんだろうか??
精神科って、内科的なイメージが強いけど、見え方を変えない限り治らないんだとしたら、
それって外科的なアプローチじゃないと治らないんじゃないか、とか
なんかそんなことも感じたり。

もちろん、外科的なアプローチで人の認識をいじるって
できたとしたらそれはそれで恐ろしいことだけど。

ボクには世界がこう見えていた―統合失調症闘病記 (新潮文庫)

ボクには世界がこう見えていた―統合失調症闘病記 (新潮文庫)

東日本大震災への200億円を越える義援金、あの時台湾では何が起きていたのか? 木下諄一/アリガト、謝謝

台湾在住30年の著者が取材を重ねた上で小説に仕立てたフィクション。
ただ、個人名や組織を変えてはいるけれど、実際にこういうことが起きていたのだろうという点では、
ノンフィクションのルポを読んでいる感覚に近いものがある。

アリガト謝謝

アリガト謝謝

そもそも自分自身、台湾に行ったことはなくて、
たくさんの義援金を送ってくれたことは聞いていたけど、
なんとなく親日な国という印象しか持っていなかった。

あの義援金は一体どういった感覚で集められたものなのか。
なぜ、200億円も集まるのか?
本作の中で出てくる数字としては中国が3億円ちょっと。
寄付とは金額の多寡ではないとは言え、台湾の寄付金の額が桁違いであることはわかる。

本作では、その寄付をしよう、募金をしようとした台湾の人たちが
どういった思いで行動したのか、その様子がいくつかのケースを通じて描かれている。

元を辿っていくと、統治時代を経験した高齢者層の中に日本への感謝の気持ちが
残っているということなんだろうけど、
世代を超えて、その感覚がじわりと、伝わっている印象。

それ以外にも寄付をすることで感謝の気持ちを知る、といった考え方なども
非常に儒教道徳的な清い教育精神を感じる。
今、こういうことを公教育で教える感覚ないよなぁ、としみじみ感じてしまった。

圧倒的に多額の義援金をもらいながら、日中関係への配慮もあって、
日本政府からのお礼の新聞広告が台湾には出なかったということもこの本で初めて知ったし、
それならばと有志で寄付を募り、台湾の新聞にお礼広告を載せるというプロジェクトがあったことも知らなかった。

知らなかったことだらけだったけれど、
一端を垣間見ることができたので本当に読んでよかったなぁ。

そしてなんだかものすごく台湾に親近感を感じたし、
今度家族を連れて行ってみたいな、と思ったのでした。

アリガト謝謝

アリガト謝謝

現実世界では目立たない凡庸な子が主人公っていう設定が今っぽいよなー。 川崎直孝/ちおちゃんの通学路

物心がついてからのルーティンワークと言えば通学だろう。
毎日、毎日、同じ場所へと向かうだけなのに、子供の頃って
通学自体がそれなりに面白かった気がする。

一人、もしくは友達と学校へ向かう通学路は時間にしてみれば大したことはないのだけど、
寄り道しようと思えばいくらでも寄り道できるし、
帰りなんか、グリコのおまけ、とかチヨコレートとかってやりながら帰ってみたり、
じゃんけんに負けてカバン何個も持ってみたり、
竹馬が流行っていた頃は竹馬乗って通学したこともあったな。

まぁ、これらは全部小学生の時の話だけど、
『ちおちゃんの通学路』はそんな仔細な変化とイベントが詰まった
通学路という設定の中で進んでいく物語。

[asin:B01LWN19TR:detail]

主人公はネトゲ好きな女子高生。
通学路でメタルギアソリッドのような潜入シーンを妄想したりするオタク気質な子で、容姿も平凡。
現実世界では特に目立たないモブのような子。

物語の中でも中の下と自己認識していて、何よりも目立つことが嫌いなんだけど、
こういうキャラ設定が今っぽいよなーと思う。

まぁ、世の中の人の大多数がモブだからね。
特別可愛いわけでも、かっこいいわけでもないし、
人並外れた才能を持っているわけでもない。

ヒーローに憧れる時代は過ぎ去り、
等身大のキャラによる内輪ネタに共感を重ねていくような感覚。
それはそれで楽しいから良いんだけどね。

あと、物語はやっぱり制約があったほうが面白いわけで、
通学路っていう制約を設けて頑張っているのが良いよね。

ネタに困って学園生活描くのがメインとかにならないことを祈りながら応援してます。

[asin:B01LWN19TR:detail]