既にこの本が発売されてから2年ほど経っているけれど、
ちょうど本書の刊行くらいから、アンナ・カヴァンが再燃している感じ。
不安定な精神状態からヘロインを常用するようになりながら、
常に書き続けた作家。書くことで救われるって言うタイプの作家。
その絶対的な孤独感、失望感、閉塞感、は堂に入っている。
よくカフカが引き合いに出されるけれど、
確かに本書に出てくる話はどれも幻想的かつ不条理な世界。
夢か現かわからない世界で起きる不条理劇は確かにカフカを思わせる要素はあるのだけど、
アンナ・カヴァンの方がより救いが無いと云うか、完全に病んでいる匂いがする。
どうしようもない孤独と、自分ではどうすることもできない閉塞感に満ちた世界。
だから多くの作品で主人公はなにがしかの「判決」を下されたり、
それを待っていたりすることが多い。
他にも基本的には絶対的なものに支配されていて、
自分ではどうすることもできない存在として主人公が描かれる。
現代において孤独は誰もが抱えているような気がするけれど、
自分ではどうしようもできないっていう諦念みたいなものを持っている人には、
どんぴしゃハマってしまうんじゃないか。
個人的には「鳥」という短編が気に入った。
以下はその一節。
人間が耐えられる抑鬱状態には一定の限度がある。その限界点に達すると、それぞれが置かれた環境の内で、何か喜びのもととなるものを見つけ出す必要がある。どんなにつまらないことでも、どんなにレベルの低いことでも——もし、それからも生きつづけるつもりであれば・・・・・・。私の場合、全面的な崩壊の淵に落ち込むぎりぎりの際で押しとどめてくれたのが、この地味な色合いのちっぽけな鳥たちだった。
P.46 - P.47
最後は、鳥自身がいるのかいないのか分からなくなる、
というか見えているのは自分だけ?って話になるのだけど、
なかなか切れ味抜群の短編だった。
そして全く本筋と違うところで共感してしまったのが、
この被害妄想のくだり。
私は最大限の注意を払って、当局宛てに新たな手紙を書いた。丁重に——卑屈とさえ思えるほどに——私の質問への回答を乞い願った。だが、投函した途端、私は恐ろしい自己嫌悪に襲われた。こんなふうにいたずらに自分を辱めるとは、何という愚か者だろう! 結局のところ、私が必死の思いで考えに考え抜いて綴った手紙も、部屋いっぱいの下級役人たちを大笑いさせるだけ——笑い者にされた挙げ句にゴミ箱に投げ込まれるに決まっている!
P.63
なんかこの、言ったり送ったりした直後に
こういう気持ちに襲われる気分は妙に共感。
アンナ・カヴァンはその後『氷』を発表し、
世界的に話題になったものの、その翌年には死亡。
日本でもサンリオSF文庫で紹介され、その後長らく入手困難な
幻の本になっていたのだけど、最近ちくま文庫で復刊されている。
こちらも本屋で見かけて買っといたから、そのうち読みたい。