ある日、主人公の女子高生愛音は車に轢かれそうになる。
運転席から大丈夫?と駆け寄る彼は超イケメン。何かあったらここへ来てと渡されたのはコンサートの関係者パス。
後で向かった先のコンサート会場ではこの前のイケメンが歌ってる、しかも事故の日に無くした自分の詞を歌にした曲を・・・
と言う所から、超人気バンド、ルシファーのボーカル咲也と知り合い、処女の妄想たっぷりのエッチな詞を書いて欲しい、と専属作詞家になっていくシンデレラストーリー。
序盤戦、とにかくエッチな詞というフレーズがことあるごとに出てきて笑いを誘うのだが、そんなものは些細なことに過ぎない。
愛音の作る詞は、咲也にこうされたいと言う妄想を言葉にしたものであるがゆえにファンの共感を呼ぶのだけど、この作品もイケメンのスターに少し強引に迫られたいという妄想を具現化したものであるがゆえに多くのファンを獲得したのだろう。
そしてなんと言っても女の中二病的な妄想を、ここまで突き抜けた形で徹底して描いた新條まゆは、それだけでもう天才なのである。
突き抜けた妄想は常にある種の滑稽さを伴う。性癖にしろ、こだわりにしろ、すべて突き抜けるともう面白さしかない。この作品は、もはやある種のギャグ漫画として成立しているのだが、それは作家が照れや安っぽい自尊心で己の妄想を隠すことなく、ストレートに描写したが故に成立した境地。
だからこれは究極のギャグ漫画でもあるのだが、それは最大の賛辞でもあるのだ!
もうとにかく咲也のめくるめく決め台詞がいちいち痺れる。
ある種のステレオタイプのオンパレードなのだけど、常々思うし、このブログでも言い続けているのは、ステレオタイプを抽出することこそが作家の才能なのだ!!
ステレオタイプとは結果的にありがち、かつ、ベタなものではあるのだけど、一方で誰もがそうそう、そういうのあるよねという共感できるものだし、無意識に共通して感じていることの言語化だったりする。
そういう無意識の共通認識みたいなものをすくい取り表現することができるというのはすんばらしい才能だと思うし、そういうものから我々は自らの感受性やものを見る視点を明確に意識させられたりする。
ベタなことを、どれだけベタにやり切れるかというのもとても重要で、ベタなことでも、やり切るとそれは突き抜けた面白さに転化する。
例えば、咲也は落ち込む愛音を励ますために、お前のために歌うと宣言してバラードを歌い出す。
ミュージシャンが歌に想いを乗せて恋人に向けて歌うというありふれた行為でしかないのだが、咲也は、新條まゆは、それだけに止まらない。
歌詞に想いが込められているだけじゃないんだよ。
さりげなく紹介されたバラードの曲名「Love Melody」
読者も最初はそれをスルーしてしまうかもしれない。
しかし、全てに意味があるのである!!
キャーーーーッ、咲也っーーーー!!!
そこに痺れる、憧れルゥゥゥゥ!!!
そして何気なくググったら、咲也のbotアカウントがあったぞ。
相変わらず発言がいちいち痺れるぜ。
みんな、フォローしてやってくれよな!
濡れていこうぜ!!